矢掛の流しびな行事と淡島信仰の由来

矢掛町東三成に『あわしまさん』と呼ばれる小さなお社が祀られており江戸時代から地元の女性たちだけで密かに守りつがれて来ました。

このお社は、江戸時代に淡島願人(あわしまがんじん)と呼ばれる僧侶たちが「淡島信仰」を説いて回り全国に淡島神社が祀られました。
東三成の『あわしまさん』も、淡島神社の末社です。

淡島信仰の成り立ちは諸説ありますが、矢掛には次の話が伝わっています。
『淡島様は天照大神(あまてらすおおかみ)に6番目の姫君で16歳の春に住吉明神(すみよしみょうじん)の一の后(きさき)になられましたが婦人病にかかられ悲しくも空ろ船(うつろぶね)に乗せられ堺の浜から流されてしましました。
そして、あくる日に淡島に流れつきました。
島人にいたわられて病いもなおり、その後は人形(ひとがた)を造って婦人病に苦しむ多くの人々を助けて淡島の女神として祀られました。
以後、婦人病に神験があるとして、信仰されています。

『淡嶋』と『淡島』
明確に定義されている訳ではありませんが、『淡嶋』加太半島の陸地にある、「淡嶋神社」を指します。
『淡島』は淡島様が流れ着いた、現在の和歌山市加太の対岸にある友ヶ島の神島の事を示します。
 

『淡島様』
無論、淡島に流れ着いて崇められて『淡島様』になったのであって、はじめから『淡島様』ではありません。
天照大神の6番目の姫君ですので多紀理毘売命(タキリビメ)になると思われますが、詳細は分かりません。

住吉大社には、住吉三神と共に息長帯姫命 (おきながたらしひめのみこと)(神功皇后)も祀られています。
面白いことに、神功皇后が海難にあり友ヶ島に避難したことが「淡嶋神社」誕生の正式の由来となっています。